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僕の妻はいつでも僕の行動を何も言わずに見守っていてくれる。

形にこだわる日本人

僕と妻はなんでもオープンに話すほうだ。

その日起こった出来事もよく話すし、それこそ僕の挑戦している内容も常にアップデートしている。

僕たちとしてはこれらは普通だが、どうやら周りを見るとそうでもないらしい。

僕たちはだいぶ仲がいいほうのようだ。

他の家庭のことはよく知らないが、同僚や知人が家族のことを話している声が聞こえてくるときは、なんだか愚痴っぽい内容が多い気がする。

僕には昔から不思議でならないことがある。

何故、多くの日本人は家族の悪口を言いがちなのかということ。

僕は妻のことが好きだから結婚した。

これはすごくシンプルである。

しかし、なんだか周りを見ていると、素直になれないのか照れているのか?

日本で妻や夫を褒めている人に出会うことが非常に少ないと感じる。

むしろ、うちの嫁はこーだとか、うちの旦那はあーだとか、なんなら子供に対してもうちの子は出来が悪いというような表現をする人も中にはいる。

もちろん、付き合っているとき、夫婦になったとき、そして子供が生まれて家族が増えた時では、その2人の関係性は変わってくるとは思う。

僕も妻とは今では本当に家族といった感覚が芽生えているが、その代わり、付き合っていた時の恋人感は正直ほとんどない。

しかし、この事実を僕の中ではいい意味で捉えている。

いずれにせよ、好きなことに変わりはないのだ。

そして、ここで思うのが外国人の事。

僕のイメージでは多くの外国人は家族の事をとても褒める傾向がある。

例えば、わたしの夫は素敵とか、わたしの妻は素晴らしい、とか。

なんなら、わたしの母はセクシーだと言っている女性に出会ったこともある。

おそらくこのような発言が日本人から飛び出てくることはとても珍しいことだろう。

そこで、その差は何なのかを少し立ち止まって考えてみたのだが、僕が思うに日本人の方が個人を尊重する文化が浅いということが大きな原因なのではないかと考える。

どういうことかというと、

そもそも日本人が自分以外の家族のことをとやかく言いがちなのは、家族を身内と考えているからではないだろうか。

そして、その身内であるということをまるで読んで字のごとく、自分の所有物かのように捉えていたり、もはや自分の一部かのような感覚に捉えている人もいるのではないかと思う。

僕には、小さい頃からあまり好きではない考え方がある。

それは、家族なんだから、という考え方だ。

家族内で話をしているときに、家族なんだからいいじゃないかという考えで片付けようとされるのがすごく嫌いだった。

僕からしたら家族であっても僕以外は他人であり、それぞれ考えが違うことは当り前であるということを子供の頃から思っていた。

しかし、この家族なんだからで思考が停止してしまう文化は日本ではとても根強いと感じる。

そして、実はそれによる弊害はたくさん起きていて、家族だからと考えて無条件で特別視してしまうことで、逆にその人の本性が見えなくなってしまっている気がする。

相手が他人であれば、この人は付き合いたい、この人とは関係を絶ちたいなど冷静に判断するところを、家族という身近な存在であるがゆえに、家族ならきっと裏切らない、家族ならきっと信用できるといった、実は根拠のない考えに振り回されてしまっていないだろうか。

しかし、家族でも悪い人間もいる。

どんな極悪犯罪者だって家族はいるのだ。

だから僕は、一見こういう話をすると冷たい人間と思われがちだが、正直に話をすると家族でも冷静にジャッチすべきだし、気の合わない人が家族にいても何もおかしなことではないと思うし、必要であれば距離を置くことも全く不思議な判断ではないと思っている。

ではその一方で海外ではどうなのだろう?

今を生きる外国人

これはあくまでも、僕がこれまで出会ってきた外国人から受ける印象を、僕の感想で話をするが、外国人は、家族や恋人でも、他人として捉えている感覚が強い気がする。

これはいい意味で個々を尊重するという価値観が日本よりも深く根付いていて、たとえカップルや家族のように親しい関係であっても、個々が独立して自分の人生を歩むことが尊重されていると捉えている。

例えば離婚を例に取り上げてみる。

日本で子供がいる夫婦が離婚した場合、もちろんどちらかが子供を引き取ることになるのだが、よくあるパターンとして、親権者ではない親と会うことを割と厳しく制限するケースが多くないだろうか。

親権者ではない親は、1週間に1度しか会えない。

もしくは1カ月に1度しか会えない。

場合によっては、もう子供に会わないでくれと言われるケースもあるようだ。

しかし、これには非常に疑問を感じる。

なぜなら、夫婦が離婚したその理由は子供には関係がないことが多い。

子供からしたらどちらも自分の親だし、親子関係が円満であったなら、親同士の関係が崩れて離婚することになった事は子供には関係がないはずなのだ。

そして、そこからさらに不思議なのが、親権者が再婚した場合、その新しい妻、もしくは夫の事を母、もしくは父と呼ぶように子供に求めるケースが多い。

これは僕には本当に意味が分からない。

なぜなら、その子供にはすでに母と父は存在するからだ。

自分の親が新しく連れてきたその人は、事実、母でも父でもないのだ。

こうしてみると、やはり日本は個人の気持ちよりも、その体系的な枠組みにハマっていることが正解という考え方が強い気がしてならない。

そこでもう一度海外を比べてみたい。

何度も言うが、これはあくまで僕の体験から僕が養った価値観に基づいて僕が勝手につぶやいているひとりごとであることを前提に読んでいただきたい。

僕は昔カナダに住んでいた頃、短い期間であるがホームステイをしていたことがある。

家族構成は、カナダ人の夫婦と娘が一人、そして離れて暮らしている兄がいるというような形であった。

しかし、実際に蓋を開けてみると、その夫婦だと思っていた二人は夫婦ではなく、恋人同士だったのだ。

子供は二人とも母親の子供。

そこに母が新しく彼氏を作り、一緒に同棲を始めたという状態だった。

日本であれば、母がこの彼氏と結婚した場合、この人は今日からあなたのお父さんよ、と子供に言い聞かせるパターンが多いであろう。

しかし、この家族はそうではなかった。

もちろん、まだ結婚していたわけではないので、お父さんと呼ぶ筋合いはないのだが、子供たちはこの男性をお母さんの彼氏として認識していたし、実のお父さんとしっかり区別していた。

そしてその実のお父さんの話を母の彼氏にも平気で話すし、それどころか、実のお父さんが経営しているお店に、母の彼氏を連れて一緒に遊びに行ったりもしていたのだ。

僕もホームステイ中だったので実際に一緒についていったが、実の父と、母の彼氏は犬猿の仲どころか、同じ女性を愛した仲間のような信頼感でとても仲が良かった。

これはよく僕が他でも話すことだが、外国人は本当にその瞬間の気持ちを大切に生きている人が多い気がする。

今の自分の幸せ、そして今の自分が大切に思っている人の幸せ。

昔どうだった、これからどうなるということよりもとにかく今に焦点を当てている。

こう言った感覚を持ち合わせている人が多いことで、それぞれを尊重することが自然に出来ているのかもしれない。

その一方で日本では、自分の気持ちよりも決められたルールを最優先し、たとえそのルールが自分に当てはまらなくてもそれに従うことで協調性があるとみなされ、正義とされる傾向にある。

この考えのせいで、一般化してまったルールからはみ出した言動をした人は世間から厳しい目を向けられるということが起こっているのではないかと思う。

さて、また今日もひとりごとが長くなってしまったが、日本にいて日本人としか話が出来なければこういった比較をすることも出来ないし、考え方のバリエーションを増やすことも出来ない。

言語は、人によってはたかが言語かもしれないが、実は言語は生活の隅々に渡って人生に影響を及ぼす可能性もあると実感している。