独立ブログ

世界が僕に教えてくれたこと

独立する。
そう決意した僕の中には、実はすでに挑戦したいことがあった。

“気づき”

プロフィールでも簡単にお伝えしているが、もう一度おさらいまでに話しておきたいと思う。

ゲーシーパークへようこそこのページはブログオーナーであるゲーシーの生い立ち、プロフィールを長々と綴っております。メインカテゴリーの英会話習得方法ブログ、ビジネスブログをに興味を持っていただけた方に向けて、ゲーシーをより理解していただくためにおススメです。このページを読んでくださった方、是非メッセージをお待ちしております。...

ここから話すことは、なぜ僕がこれからこの事業で挑戦したいかという想いを感じ取ってもらうために必要不可欠な話だ。

僕は、当時行っていた音楽活動がきっかけでカナダでの生活を始めた。

移民大国のカナダで異文化と触れ合いながら生活し、多くのカルチャーショックを受けたおかげで次第に自分の視野が広がっていくのを感じ取っていった。

そして、

「もっとたくさんの価値観に触れ、世界を知りたい!」

そんな想いが強くなるにつれ、本気で英語の勉強、いや僕は英語の練習と呼ぶのだが、これに力を注いだ。

英語を習得して僕の視野を広げてくれたたくさんの人々のルーツを巡る旅がしたいと思った。

そして、大きなリュック一つで旅に出た。

もちろん自分の音楽にも良い影響があるだろうという想いも込めて。

それから約1年ほどかけて十数か国を周った。

決して世界を知るには十分だとは言えない期間だが、今思えばこの時間がどれだけ僕を成長させたかは計り知れない。

その後、旅を終えてもう一度カナダで音楽を始めたが僕は音楽の道を一旦あきらめることにした。

世界は広い。

世界とは、地球を表すだけの言葉ではないと知った。

個々の人間や文化の中にも世界がある。

音楽の世界の懐の深さが垣間見えた時、僕の夢は叶えらえないと知った。

Stevie Wonderにはなれないと知ったのだ。

そして、結果として歌手になるという夢をあきらめることになるが、これは僕の中ではポジティブな選択だと考えている。

その後、日本に帰国した僕はどんな形であれ海外と繋がりのある仕事がしたいと思った。

そんなとき、幸運にも良い出会いに恵まれ、遅咲きではあるが日本企業の海外事業部の営業担当として仕事を始めることが出来た。

この時の僕は34歳。

この頃、僕の日本に対しての考えが変わってきていた。

これまで海外で多くの価値観に触れ、僕の価値観も変化していった。

海外生活をする前の僕しか知らない人から見たら、海外生活を経た僕は、まるで別人に見えるであろう。

そんな僕の目線で日本を見た時、非常に残念に思うことがあった。

僕はこの仕事に就くまでの34年間、国内外を含めアルバイト以外の社会人経験は全くなかった。

きっと一般常識も欠けていたであろうし、今現在もその穴は埋められていないであろう。

学生時代まともに勉強もしていないため、下手したら、小学生より漢字は苦手かもしれないレベルだ。

しかし、そんな僕が結果的に一般企業で一目置かれて働けていたのはなぜか?

それはこの英語力のおかげに他ならない。

そう思ったとき僕は、大きな違和感を感じた。

なぜならこの事実は、見方を変えると今日の日本ではある程度の英語力を備えているだけで、30歳を超えるまで夢を追いかけ社会人経験が全くなかった僕のような人間でも一般企業で一目置かれる人材として扱われるということ。

もちろん僕自身、素直に誇りに思う部分でもあるが、しかしそれより僕が思うことは日本の国際人の少なさである。

海外では、英語が出来ることがここまで強みになるケースは少ない。

もちろん国にもよるが、ほとんどの国の共通認識として英語は世界共通語でどこの国にも一定数話せる人がいて当たり前というものがある。

しかし、日本においては全く違い本当に英語力が貴重とされる。

僕はこういったことから、日本は非常に特殊だと気づき始めたのだ。

これは日本だけに住んでいると気が付くことは難しい事実かもしれない。

日本は日本国内で人生が完結してしまっても十分幸せに生きていける。

デモや戦争など、争いごとが起こる可能性に怯えて普段から心の準備をしながら生活している日本人がどれだけいるだろうか?

これはある意味本当に幸せなことで、僕は全く悪いことだと思ってはいない。

しかし、僕自身のまだ少ない経験からしか話すことが出来ないのは残念だが、世界の人々をのことをもっと知ることで初めて自分の国の細部に目がいきわたるようになることは事実だ。

そして、それを知った後の人生の充実感はその前とは全く違う。

選択肢が増えると、人生を豊かにするきっかけが増える。

だから僕は、日本人はもっと日本の外に目を向けるべきだと思っている。

 

宝物のために

そんな想いが自分の軸になってきた頃、僕には息子が生まれた。

太郎だ。

そして、この太郎の存在が僕の独立に向けてのBoosterとなった。

僕が着目したのは、世界を視野に入れることの素晴らしさももちろんだが、それよりもっと世界を視野に入れないことで起こりうるリスクに対しての不安だった。

もしこのまま家族で今の日本に暮らし続けたら、「今」そして「これから」を生きる僕の宝物”太郎”が、広い世界を知らずに小さな日本の限られた環境と知識の中で生きていく事に違和感すら持たずに、知らぬ間にたくさんのチャンスを逃してしまうリスクがあると考えた。

そしてそのリスクを考えたとき、日本で子育てをしたいと思えない僕がいた。

そこで僕には、ある2つの選択肢が浮かんだ。

一つ目は、海外に移住すること。

僕が子育てに理想的だと考える国に移住して家族で暮らす。

もちろんすぐに出来るわけではないし、その環境を整えるためには多くの壁が立ちふさがるだろう。

しかし、

人生は一度きり!

そんな一度きりの人生、あきらめるという選択肢はない。

そして二つ目は、日本の教育環境を僕の思う理想的な子育て環境に変えるということ。

正直これはかなり大きな取り組みになる。

絶対にパッと思いついて出来ることではないし、一個人が掲げるにはバカげているレベルの目標かもしれない。

でも僕は、この二つ目にチャレンジしてみたいと思った。

その理由はこうだ。

僕は間違いなく息子に対しては本気で僕の人生をかけて全力を注ぐことが出来る。

太郎の健康と引き換えということなら、僕は今すぐにでも自分の命を絶てる。

親で在ることとはなんなのか、親になってみて初めて分かった気がする。

そこで僕は考えた。

今僕たちは、情報が民営化した時代を生きている。

誰でも世の中に簡単に自分の想いを発信できるし、スキルを共有することもできる。

であれば、これから本気で太郎に伝えてあげたいと思う情報やスキルを、太郎だけではなく同時に多くの子供たちに届けることも可能なのではないか?

無謀だと言われるかもしれない。

でもそんな人の目を気にする人生のフェーズはとっくに過ぎた。

だから僕は、本気でこのチャレンジを成功させたいと思った。

では一体そのアイデアとは何なのか?

それはこれまで僕がチャレンジしてきた中で培ってきた知識とスキルをすべて合わせた、僕の集大成のようなものだ。

それは、これだ!