独立ブログ

独立を決意。きっかけはコロナウイルスだった。

2020年5月

僕は東京でサラリーマンとして、日本の中小企業の海外事業部で海外営業担当として働いていた。

その頃、世界中ではコロナウイルス感染が猛威を振るっていた。

コロナウイルスで受けた影響

そして、僕自身も他人事ではなく、当時働いていた会社でもそのコロナウイルスの影響を受けた。

僕はその当時、38歳。

結婚して3年目の妻と、まだ生まれて6カ月になったばかりの長男(初めての子供)との家族三人暮らしをしていた。

実際にコロナウイルスのせいで僕が会社から受けた影響はというと、

これまで通り出勤もしくは自宅待機にてリモートワークのどちらかを選択するというものだった。

僕は初め、この選択肢を出された時は実は少し嬉しかった。

なぜなら、僕自身の業務は自宅待機のリモートワークという働き方でもほとんど影響がなく、ほぼ100%普段と変わらない業務をこなせるからだ。

だからむしろ、満員電車での通勤も必要なくウイルス感染のリスクも減らせるということもあり、リモートワークを選択しようと思った。

しかし、会社からのオファー内容は僕が考えていたものとは違うものだった。

①週に3回自宅にてリモートワーク、残りの2回はオフィスに出勤。

②週に2回自宅にてリモートワーク、残りの3回はオフィスに出勤。

③通常通りフル出勤。

そう、完全にリモートワークではないのだ。

そして問題はここからだ。

どちらのコースを選ぶかで給料カットのパーセンテージが変わるというのだ。

そう、給料がカットされるのだ。

正直これには納得がいかなかった。

上でも言ったように、自宅待機のリモートワークをしたところで僕の業務に支障はほとんどない。

それなのに、これまでと同じ業務を行うにも関わらず、自宅で業務を行うからという理由で給料がカットされる事に納得がいくはずがなかった。

その当時、コロナウイルスの勢いは本当にすさまじく、世界中が混乱していた。

日本でも各地で緊急事態宣言が出され、不要不急の外出を禁じられている状態だった。

日本一の電車乗車数を誇る東京の新宿駅ですら異様なほど静まり返っていた。

あの光景は普段なかなか見られるものではなかった。

僕は、毎日の通勤で往復約2時間半もの道のりを東京の満員電車に揺られ通勤していた。

たしかにこの時は緊急事態宣言の最中だった為、通常時に比べればだいぶ電車も空いており三密電車で通勤する必要はなかった。

しかし、万が一僕が感染すれば妻や息子も感染するリスクが高まる。

僕の妻は医療従事者だ。

妻にウイルスを感染させて、さらにそのウイルスを病院に持ち込むなんてことは絶対にあってはいけない。

そして、なによりまだ幼い息子に感染させてしまった場合、最悪命を奪ってしまうかもしれないとも考えたほどだ。

僕は出来る限りそれらのリスクを減らさなければいけない。

しかし、僕はサラリーマン。

働かせてもらい給料をいただいている立場。

「100%コロナが収まるまで、自宅待機します!」

「それが無理なら会社を今すぐやめます!」

なんてことが簡単に言えるはずもなかった。

どうしたらいいかわからなかった。

しかし、やっぱり僕は自分の心の中にモヤモヤを残したまま、素直に命令を受け入ることができず、会社にある交渉を持ちかけてみることにした。

 

会社員精一杯の抵抗

会社からのオファー内容の変更を求めたのだ。

僕は、社員の中で一番通勤時間が長いため感染リスクも高いと考えられる。

そして、僕の家族の現状(妻が医療従事者で息子が幼いことなど)を理由にして、次のような変更を受け入れてもらえないかと提示した。

給料カットの%の交渉だった。

会社から提示された給料カット%を少しでも引き下げてもらえないかという交渉だった。

それがこの時の僕ができるせめてもの抵抗だった。

そしてその交渉から数日後、社長から「OK」という返事をもらった。

そうして自宅待機リモートワークを勤務体制での業務が始まった。

案の定、特に業務に支障はなく最初の頃は普段通りの業務をこなしていった。

しかし、どうしても給料がカットされることが頭によぎる。

そんな日々が数日続くと、やはりそのカットされた分だけ少ない力で仕事をしている自分がいることに気付いた。

その状況は約2か月間ほど続いたが、コロナウイルスが少しずつ落ち着き始め緊急事態が解除されるにつれて、またすぐに通常勤務に戻っていった。

その頃には、僕自身も毎日通勤しても大丈夫だろうと思えるようになり、世の中もある意味コロナ渦の生活に慣れてきたのか人々がだんだんと外に戻ってきていた。

 

独立決断の時

さて、、

僕はこの頃、コロナウイルスが引き起こした一連の出来事がきっかけで本当に心から想うことがあった。

それは、

「僕はなんて情けない人間なのだろう」

ということ。

僕には大切な妻、息子がいる。

そして僕はこの家族を、自分の命に代えてでも守りたい存在だと思っている。

それなのに、家族が本当に危険にさらされているかもしれない状況だったにも関わらず、家族を守るために自分が一番取りたかった行動を取れなかった。

自分の置かれている社会的な立場のせいで、最愛の家族を最優先した選択が出来なかった。

そのことが本当に悔しかった。

会社の方針に従わざるを得ない自分。

もちろん、

「じゃあ会社辞めます!」

と、勇気を出せば言えないことはない。

でも実際には言えなかった。

生活があるのだ。

でも、やっぱりそんな人生間違ってると思った。

なぜ僕は、自分の人生のハンドルを自分で操作出来ないような生き方をしているんだろう。

なぜ、自ら心の声に耳を傾けることよりも、他人に制限されながら生きているのだろう。

意味が分からないと思った。

自分の人生の進む道を自分で選択できる生活を送りたい」

心からそう思った。

しかし、今のままではそんな生活は一生訪れないであろう。

であれば今の生活を変えなければいけないのは明らかだ。

では、一体どうすればいいのだ。

そんなとき、僕の中に一つのアイデアが浮かんだ。

実は、そのアイデアはコロナ禍を迎える前から僕の頭の中に漠然とはあったが、実際にどれだけ再現性があるかしっかりと考えてはいなかった。

しかし僕は、今回の出来事をきっかけにそれを始めてみようと思ったのだ。

このコロナウイルスという得体の知れない生物にたくさん気づかされた。

このままでは僕は、自分が主役であるはずの自分の人生にもかかわらず、他人の人生の中で脇役を演じて生きることになる。

そのことにはっきりと気が付いた以上、もう言い訳をしながら生きていくのは絶対に嫌だ。

だから、この出来事を将来的にポジティブな想い出に変えられるようにしたい。

僕は決めた。

独立しよう。

そして、自分で自分の人生のハンドルをしっかりと握って生きて行こう。

大切な家族を自分の手で守って幸せにしたい。

心からそう思った。

こうして僕は、独立という新たなスタートに向けて、その一歩を踏み出した。