独立ブログ

感謝を込めてスタート

とうとう独立して自分で事業を始める時が来た。

僕は、とてもワクワクしていた。

ありがとう過去たち

2020年12月31日付けで会社を退職した。

海外事業に関してはそのまま引き継いで行うので、もうこれっきりという感覚はなく、職場を離れる寂しさは特になかった。

社長からも、いつでもオフィス来てくださいね!たまには飲みましょうね!と言ってもらえた。

退職を考えたきっかけは、大きく分けると3つあった。

一つ目は、コロナ渦での会社の社員への対応。

二つ目は、この一つ目が引き金となって僕自身の生き方を立ち止まって考えることが出来たおかげで、自分の人生のハンドルを自分で操作できる生活を手に入れたいと思ったこと。

独立を決意。きっかけはコロナウイルスだった。世界中を襲った未知のウイルス。その状況を受けて会社から社員にある命令が下った。その命令は社員とその家族を守る為とは考え難い、納得のいかないものだった。しかし、社員として従わざるを得ない僕。自分の人生を自分の意志で選択出来ないこの状況を本気で変えなければいけないと独立を決意。そんなサラリーマンから独立して理想の生活を手に入れるためのサクセスストーリー。新たな挑戦が、今ここから始まった。...

そして三つめは、これまでの僕の人生で培ってきたすべての経験と知識を振り絞って、僕の息子の将来の可能性を広げてあげるために本気で挑戦したいと思ったということである。

世界が僕に教えてくれたこと日本で評価されていた自分の価値は、世界では通用しなかった。しかし、世界ではすでにありふれた価値は、日本では今でも高く評価されるという現実を知った。僕はこのギャップを感じた時に、我が子を日本で子育てをすることにネガティブな感情を抱いた。その時僕の中に浮かんだアイデアは、日本を離れる、もしくは日本を変えるだった。そして僕が出した答えは。...

会社を退職するにあたり、僕は上で述べた3つの退職理由を全て社長に正直に話した。

その上で社長は、暖かく僕の背中を押してくれた。

働き始めて2年ちょっと。

一般的には、やっと会社のことを理解してきて、ここから会社に恩返ししていかなければというタイミングであろうにも関わらずだ。

僕は社長にとても感謝している。

僕にとって社長は、ビジネスマンで在る前に、アーティストであると思っている。

こだわりが強く、流行やお客さんに合わせることをプライオリティに置くのではなく、自分が本当に興味を持って追及して得た知識から、本当に信じられる商品を開発して、本当に良いものをお客さんに届けたいという強い気持ちがいつも伝わってくる。

しかし、そのこだわりの強さゆえに、いつでもすべてのお客さんに受け入れられるわけではなかったが、一度ファンになってくれたお客さんはずっと離れないといった強い信頼関係を築ける会社だった。

僕も昔から自分のことをアーティストだと思って生きてきたし、これからもそうありたいと思っている。

だから、この会社を経営している社長は、僕からするととても魅力的であり特別な存在である。

そんな社長と出会えたのももちろんご縁ではあるが、実は僕は、こういう出会いを引き寄せるために常にアンテナを張っている。

そのアンテナとは、この人、もしくはこの行為は自分の人生にとって必要か不必要かを見極めるためのものだ。

僕はこれを「選力(せんりょく)」と呼んでいる。

僕は、この選力を重視していることで、自分のことをたまにとても冷たい人間なのかもしれないと考えるときがある。

例えば、ごくたまにだが、地元の同級生たちと集まる機会があったりする。

するとそこにいるほとんどの同級生たちが決まってこのようなことを言う。

「やっぱり地元の奴は違うよな。仲間って感じでいつ集まっても同じように話が出来るからな!」

しかし、僕は全くそうは思わない。

むしろ、僕の地元の茨城県は関東ではあるが、都心との生活環境や情報の伝達具合には大きなギャップがある。

下手したら東京から比べたら10年、いやそれ以上前の時代を生きているのではないかと思えるくらいだ。

もちろん地方に住んでいればみんなそうだと言っているわけではない。

今では住む場所を問わずにいくらでも情報を自分から取りに行ける時代だし、それに気が付いている人は、むしろ都心から地方に移住して収入と生活コストとのバランスを図りながら上手に生きている人も多いであろう。

しかし、地元で過去に暮らしている同級生たちの中には、僕たちが当時学生だった時の感覚とほとんど変わっていないと言っても過言ではない人もたくさんいるのも事実だ。

そうなってくると、幸せを感じるポイントや、悩みの種なんかも全く違う。

そんな同級生たちと話をしていても正直つまらないし、有意義な時間とは思えないのだ。

そして、やたらと義理堅い人のことも僕は理解できない。

一度大変お世話になったからといって、まるで一生見返りを払い続けなければいけない位に考えている人も日本では珍しくないと思う。

僕はやってくれた行為に対してはとても感謝する。

自分が必要としてなかったことだったとしても、相手の気持ちを尊重する。

しかし、それ以上は何もない。

その代わり僕も誰かに何かをしてあげたいときは、特に見返りは求めない。

もちろん喜んでくれている顔が見れたらそれはとても嬉しいが。

僕の感覚で言うと、日本では、もらったらお返しする文化が少々根付き過ぎていると考えている。

これが一般的なルールとなっている今、もはやプレゼントやそのお返しの多くは表面的なやり取りなことの方が多く、そこにはそもそも気持ちが伴っていないことも多いのではないかと考える。

これら以外にも思い返せばいくつでも例は出てきそうだが、僕の結論としては、他人の目を気にせずに常に自分にとってわがままなアンテナを張ることで、過去のしがらみに囚われずに今の自分に本当に必要な人や出来事と出会えるのではないかと考えている。

そして、実はそうすることで不必要と感じて関係を切った人や、行わなかった行為に関しても、結果的に感謝することが出来ると考えている。

なぜなら、結局今日幸せを感じることが出来たら、それは全ての過去に感謝出来ることになるからだ。

だから僕は一見冷たいと思われても構わないと思って今日をわがままに生きている

僕は今新しいスタートラインに立っている。

もちろん全く未来は予測できない。

でも今日の僕はとてもワクワクしているし、幸せだと感じている。

最愛の妻がいる。

最愛の息子がいる。

そして新たにチャレンジできる。

だから、こんなわがままな今をプレゼントしてくれた過去達に声を大にして言いたい。

ありがとう。

そして、行ってきます!