ひとりごと

貧乏性の正体

少し前までの僕は、とても貧乏性だった。

初めてのインフルエンサー

そして最近なぜ僕が貧乏性だったのかという理由が少しずつ自分で理解出来てきた。

皆さんの中にもこのような人がいるかもしれないが、僕は小さい頃、親が言うことが全てだと思っていた。

自分の親がすごいというものはすごいのであろうと考えていたし、旨いというものは旨いのであろうと思っていた。

もちろんその時同感出来なかったとしても、大人になるとそう感じるのだろうと思っていた。

しかし、当たり前だがそうなってくると、自分の価値観は完全に親の価値観に依存してしまう。

各家庭の親の価値観がそのまま子供にインストールされるということは、きっとそこら中で起こっているのであろう。

そして、それに簡単に気が付けないのは、基本的に自分の周りの家庭も近い価値観を持って生活している家庭がほとんどだからだ。

友達の家に行っても同じような家の同じような部屋で同じようなご飯を食べることには違和感を感じない。

むしろ慣れている環境だから居心地がいいほどだ。

友達を観れば自分がどんな人間なのかがわかるというのはそういうことだろう。

僕の育った家は、田舎の一戸建て。

特別ボロいわけでもないし、特別大きいわけでもない、その近辺で言えばまあ一般的なサイズだった。

父親は当時は飲食店に勤務していて、母は扶養内でパートに出るというよくある過程だった。

僕は結構わがままだったので、すぐにおねだりをしていた。

そして、甘やかされていたので欲しいといったものを買ってもらえなかった記憶はない。

しかし、なぜだろう?

僕には、家には決して金銭的な余裕があるわけではないことが分かっていた。

これに関しては、銀行通帳を覗いたわけでもなければ、両親がそういったことを話している場面に遭遇したわけでもない。

しかし、なぜか決して裕福な家ではないということは気が付いていたのだ。

でも、僕は幸せに育てられた。

何不自由なく、わがままに。

だから両親にとても感謝しているし、恩返しをしなければと思いながらもまだ出来ていない。

しかし、未だにある出来事を思い出すことがある。

中学の時の話だ。

貧乏性エピソード

僕が友達と外で遊んでいると、たまたまうちの母が車で通りかかった。

夕方も過ぎていたので、お腹が空いているだろうと、僕と友達をラーメン屋さんに連れて行ってくれた。

そして、僕たちがメニューを見ながら何を食べようか考えていたときだ。

僕はなぜか、その友達に対して、出来るだけ安いものを頼んでほしいと心の中で思っていた。

うちのお金が無くなっちゃう。うちのお金が。

たかだかラーメン一杯ごちそうしたところで、家計を圧迫することはないが、僕はその時子供ながらにそう思った。

しかも、その友達はそんな僕の願いをあざ笑うかのように、ラーメンにライスを追加して頼んだのだ。

もちろん抗議したわけではないが、なぜだかとても悲しい気持ちになった事を今でも忘れない。

そして、僕が覚えている親からインストールされた価値観の中にこんなものがある。

「うんこ汲み屋さんはお給料高いんだよ~」

うんこ汲み屋さんとは、バキュームカーの運転手のことである。

最近あまり見かけないが、当時僕の住んでいた地域には定期的にバキュームカーが下水から排泄物を汲み上げて回収しにくるということが行われていた。

そしてそのバキュームカーが来たときは誰もがすぐに気が付いた。

なぜなら、その強烈な匂いである。

そして、もちろん僕はその匂いが嫌いだった。

家族もみんな嫌いだった。

しかし、そのバキュームカーが来るたびに、うちの母親がこう言っていた。

「うんこ汲み屋さんはお給料高いんだよ~」

度重なるインストール&アップデートにより、僕の中では、

高給取り=バキュームカーの運転手

という概念が寝付いたのだ。

上でも話したが、父親がサービス業を行っていたため、スーツを着たサラリーマンの父が、酔っぱらってネクタイを頭に巻いて寿司のお土産を持って帰宅するという、よく当時テレビで流れていたお父さん像とはかけ離れていたということもあり、そもそもシャツを着て仕事に出かける職業を目指すという概念は僕の中にはなかった。

僕は、このような家庭で育ったことが、貧乏性になった理由だと考えている。

貧乏性の正体

すなわち、貧乏性の答えは、

「育ち」である。

何度も言うが、僕は今幸せであり、この両親の元に生まれて本当に感謝している。

だから悪口を言っているわけではないが、このような事実を踏まえて考えた時に、僕がなぜ貧乏性になったかが見えてきたという事実話しているのだ。

とにかく、ここで僕が声を大にして言いたいのが、自分の息子には同じ道を歩ませたくないということだ。

これは今僕が行っている事業に直結していることだが、とにかく小さいときからいろんな価値観に触れてたくさんインストールすること。

そしてその選択肢が増えた中で、自分が出来る努力をして理想の生活を手に入れる。

これが子供たちに伝えたいことなのである。

うんこ汲み屋さんが人生の天辺だと思って育ってしまったら、実は自分の才能はそれ以上の可能性を秘めているにも関わらず、そこを目指してしまうかもしれない。

そんな風にあえて狭い世界で生きるのではなく、出来る限り360°見渡して、その中でチャレンジして自分の居場所を見つけてもらいたいと切に願って、少しでも貢献できればと思い活動をしている。