独立ブログ

ペンギンになれる大人でありたい

動画撮影も少しずつ進んでいき、他社にはない色で形になってきているのではないかと思っていた。

だいたいみんなウソつき

前回も書いたが、この時日進まこと幼稚園はいろいろと忙しい時期。

通常であれば頻繁にお試しレッスンをさせてもらえる状況ではなかった。

しかし、副園長野尻さんのご協力もあり、正課の保育が終わり、午後のお預かりで園に残っている園児達にであればいつでもレッスンを行ってもよいと言ってくれたのだ。

そのおかげで、2020年の年末頃に初めてお試しレッスンをさせてもらってから、2021年3月のこの時点までに約8回程度行ってきた。

本当に感謝である。

この約2カ月間の間、幼稚園に出入りさせてもらって思うことがあった。

その一つ目は、本当に会社員を辞めてよかったということだ。

会社員自体を否定しているのではない。

ただ僕には合っていなかったと再認識したという話だ。

会社員時代は、息子が日によって起きる時間が違うのでそれによるが、大体6時半を目途にベッドから出て、息子のお着替え、朝ご飯と保育園に行く準備を済ませ、7時40分頃に家を出ていた。

僕は自分のことをラッキーな人間だなと思うことがたびたびあるのだが、これまた本当に幸運だと思ったが、息子の保育園がめちゃくちゃ家から近いということだ。

僕の住んでいるさいたま市でも待機児童問題は少なからず生じている。

誰でも好きな保育園に子供を預けることができるわけではなく、電車に乗って通わせている家族もいるようだった。

そんな中、なんと僕の息子が通っている保育園は住んでいるマンションから徒歩2分程度の場所にある。

しかも駅に向かう途中にあるので、息子を送り届けてからそのまま駅に迎えるという好立地だった。

なかなかこんなにラッキーな状況はないであろう。

そして息子を送り届け朝の通勤ラッシュ時に電車に乗り、満員電車で揺られること約1時間。

ようやく朝9時頃に当時の会社の最寄り駅に到着。

そして19時頃まで勤務して、家に帰る頃には21時頃といった生活だった。

この生活では帰った頃には息子はちょうど寝る頃である。

まあこれはいわゆる一般的な会社員の一日の生活で在ろう。

いや、むしろもっと残業が多くて遅くに家に帰る人も多いだろうし、通勤時間が長くて朝始発に近い電車に乗っているような人もいるであろう。

でも、この時の僕を含めてだが、果たして世の中にこのような生活を望んで行っている人がどれだけいるのであろうか?

望んで朝6時台に起きて、望んで満員電車に乗って1時間以上立ったまま通勤。

望んでいた職場で望んでいた業務をこなして、また望んで二度目の満員電車に乗って帰宅して、望んで家族との団らんの時間を最小限にする。

もちろん世の中に全てが望み通りの生活が出来ている人などほとんどのいないであろう。

しかし、この上にあげた項目の中で、望んで行っている項目がいくつあるであろう?

少なくても僕にとっては上記の項目全てが僕が望んで行っていることではなかった。

会社を退職し、自宅勤務、および幼稚園に通い出したこの頃、本当にそれを痛感した。

まだ辞めてほんの2,3カ月でだが確信に変わった。

素顔のままで

その大きな理由の一つは、仕事環境である。

会社員の頃通っていたオフィスは、お世辞にもにぎやかでワクワクする場所ではなった。

もちろん会社に遊びに行っているわけではないが、いくら仕事をだからといっても、果たして会社とはあえてつまらないもので、あえてストレスフルな場所で在る必要があるのであろうか?

仕事はあえてつまらないものであるべきなのであろうか?

幼稚園に出入りするようになって、幼稚園で働いている先生たちを見て、子供達と触れ合ってみて、その答えが出た。

僕の通う幼稚園の先生たちはいつもニコニコしている。

いつも笑っている。

怒る時もある。

でも誰かを想って怒っている。

イライラしているとは違う。

もちろん幼稚園の先生なんて簡単な仕事ではないし、子供たちの面倒を見ることは大きな責任が伴うことも事実だ。

それでも、みんないつも笑っているし大きな声で話をしている。

望まずにいやいや来ている人は一人もいない。

そしてなにより、職場をそんなハッピーな場所にしてくれているのは、子供達であろう。

子供達はいつも自分勝手だ。

嬉しければ笑うし、悲しければ泣く。

やりたければあるし、やりたくなければやらない。

本当に素直で、誰の目も気にしない。

これは実は当り前のことだが、そんな当たり前のことを多くの大人は忘れてしまっているのではないだろうか。

大人になると、特に日本では空気を読むということが求められる。

嬉しくても喜んではいけない空気と感じたら素直に喜ばない。

悲しくても泣いてはいけない時には我慢する。

このように、素直な自分の感情に逆らって生きていくことがいつの間にか日常になってしまっているのだ。

そう考えたら、つまらないと感じたりストレスが溜まるのも理にかなっている。

常に反対のことを要求されているのだから。

しかし、普段から子供達と接している幼稚園の先生たちは、子供たちの、いや人間の当たり前の感覚が伝染するのかもしれない。

僕はそう感じた。

こういう部分も僕は本当にラッキーだと思った。

独立するにしても、結局またストレスフルな人間関係を築いていくことが必要になることも多いであろう。

しかし、僕が選んだ道はそうではなかった。

そこにフォーカスを当てて選んだわけではないが、自然とそうなった。

僕は素直な人間なのかもしれない。

よく妻に言われること。

「あなたは自分のやりたいことしかできないんだから、好きなように挑戦したらいいよ。」

本当に妻は僕のことを理解してくれていて、尊重してくれているなと実感している。

独立してほんの数カ月。

稼ぎなどまだない。

幸い固定費は発生せず、人件費以外のコストは殆どかかっていないが、稼ぎがないので家計としてはマイナスである。

それでも僕はこの生活を選んでよかったと思っている。

人は基本的には常にいろんな役を演じて生きている。

でもどんな役の人も、その役を演じる前には素直な自分が存在するはずである。

少なくとも僕は素直に生きることしかできない人間なようだ。

そして、素直になると、こんなに自然と笑顔が増えるのだと我ながら実感している。

素直な人間に対しては素直で向き合う。

それが大正解で自然なことなのである。